思い出の日記

昔、東伊豆に住んでいました。
幼馴染みに、たかちゃんという子がいました。
たかちゃんの家は、昔からのお金持ちでとても広い家に住んでいました。
たかちゃんには両親、妹、祖父母のほかにひいじいさんとひいばあさんもいました。
クルマもたくさん有りました。
ゆえにおもちゃやファミコンも有りました。
たかちゃんは勉強ができてハンサムで運動ができました。
こんな人生、いいなあと思うかもしれないけど、たかちゃんは特にイイやつではありませんでした。
たかちゃんのウチで遊んでてうっかりねっころがったりしようもんなら
「人の家でくつろぐなよ!!」と怒りました。
幼稚園からずっと一緒だったけど、ぼくは小学四年の時に沼津に引っ越しました。
全然連絡はとっていなかったのだけれど、ぼくがとなりの三島市の高校に進学が決まった時に、
たかちゃんも推薦で同じ高校に進学する、というのを母が聞き付けてきました。
もちろん東伊豆から三島は腹が立つ程遠いので学校の近くに下宿です。
ぼくのいった高校はそんなにレベルが低くないし、大学の付属高校だったから下宿してでも
入学してくる人がたくさんいたのです。
たかちゃんはお父さんが中学の先生で、先生の息子といえばデキがよければ「問題もらしてんじゃないの」
と言われてしまうしデキが悪ければ「先生の子なのにね」といわれてしまいます。
そんな理由もあったんでしょう。見知らぬ土地に進学するなんて。
高校に入って、ぼくは中学の時の同級生と一緒に学校に通っていました。
「マサヤはさー〜〜〜〜〜〜」
その会話の中に出てきた僕の名前に反応して、近くにいたたかちゃんはぼくに声をかけてきました。
ぼくが東伊豆を離れてからいろんなことがあっただろうけど、なぜかぼくは「みんな元気?」とか、
聞く気にはなれませんでした。
ぼくはふつうのクラスでしたが、たかちゃんは推薦だったので特進クラスでした。
それもあってか、会っても挨拶程度しかはなしをせずにいました。
たかちゃんは特進クラスの中でも成績がよかったのか、委員会の役員をやっていました。
のちに委員長、生徒会役員をやっていました。
だけど二年生になったある日、たかちゃんがなんらかの理由で生徒会を辞めさせられた、と聞きました。
クラスにたまたまたかちゃんの事を知っている人がいたので聞いてみましたが、
「ああ、あいつはダメだよ。あんなやつの使いっぱしりなんかやって…」
そう言われた意味がぼくには分かりませんでした。
たかちゃんは茶髪になり、ズボンを引きずって歩いていました。
高校3年の終わり、ぼくは行く大学が決まっていました。
休み時間に登校してきたたかちゃんに、下駄箱のところで会いました。
「おれ、ヤバいかも…」
一体何がヤバいのか、僕にはちっとも分かりませんでしたが、卒業アルバムを見てその意味が分かりました。
クラスのページの、寄せ書き欄にはたかちゃんの名前が入っているのに、たかちゃんの写真は載っていませんでした。
それを見て、「卒業できないことが分かって卒業まぎわに中退してしまったのだな」と。
ぼくは「しまった!!」と思いました。
どうして3年間も同じ学校にいたのに、彼の話なんか何一つ聞いてやらなかったのだろう。
それからたかちゃんは、三島にそのまま住み続け、女と同棲し、パチプロで食っている、という
話を聞きました。
それから二年程、彼の事なんか思い出さない日々を過ごしてきましたが、母が彼の消息を聞いてきました。
かれは実家に戻り、おじいさんと一緒に畑に出て、広大ななかで一生懸命やってるそうです。
よかったよ。それを聞いてぼくも安心しました。



なんかよくわからないけど、
これからがものすごい忙しくなりそうだ。

新しい人は6月から来るらしいが、
また金沢で研修するらしい。

という事はまだまだ一人で忙しい日々らしい。